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幸せな時間

  • 執筆者の写真: Ushun Kitahara
    Ushun Kitahara
  • 2021年1月23日
  • 読了時間: 2分

写真を撮っているとき、そしてイメージどおりの編集を終えたとき、僕はすごく幸せに感じる。


今からおよそ4年前、今までやってきた仕事を辞めてカメラマンをはじめた。

やっぱり、なかなかそう簡単には喰えなくて・・・それでもカメラが好きで毎日触ってきた。それは今も変わらない。


ときどきハードディスクに眠っている当時の写真を引っ張り出して現在の写真と比較してみると、「え~~~~~っ!!」ってなる。


それぐらいとても恥ずかしい写真、完成度なんだ。


これはきっと、来年、再来年に現在の写真を見て同じように思うのかもしれない。


この感覚は、はじめて自分が歌った声を録音して客観的に聴いた瞬間に似ている。

僕は10代後半から30代前半までミュージシャンとして音楽活動をしていたので、例えがみんなに伝わりにくいかもしれないけど、ソレなんだ!きっと分かる人には分かる感覚。うん。


みんな気を遣ってなのか・・・

音程が外れて歌が下手だったり、リズムが合っていなかったりしても直接言って来ないわけ。むしろ、よかったよ!!なんて口を揃えた様に言うから、アホみたいに俺は上手いんだ!みたいに自信を持っちゃう。だけどやっぱりライブで録音した音源であれ、レコーディングやリハで撮った音源を客観的に聴く羽目になって、一気にどん底まで突き落とされるんだ(笑)僕は今でも18のあの衝撃を忘れない。爽やかで順風満々な青春がぶっ壊れた瞬間。


写真もそれにマジ近い!


でもね、そんな音楽に例えたときに

同じならきっとコレも一緒なのかもしれない!と思うことがあるんだ。


それは、技術と理論で完成されたカメラマンにはなってはいけないということ。


僕はアーティストでいたいからより一層そう思う。


批判するわけではないんだけど、楽器でもカメラでも機材に拘っている人に限って、機材の知識や理論ばかりで実際の写真はちっとも面白くなかったり奥行きのある写真じゃなかったりするような気がするんだよね。写真はメチャメチャキレイなんだよ!間違いなく。でも、それじゃないんだよなぁ~っていう想像の中の理想の世界があって・・・、だからなのかな?論理的で形式的な写真を撮るそういうカメラマンにはなれないけどなっちゃいけないなって言い聞かせている。まぁ仕事だと使い分けるが正しいのかもしれないけど。。。


明日も何か撮ろう!!来年の今日のために!




 
 
 

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