未来に伝える。残す。
- Ushun Kitahara
- 2020年8月28日
- 読了時間: 3分

つい先日、うちの息子が1歳になりました。病院で生まれた瞬間から撮り貯めた365日間の写真。そのアルバムを作っています。
あっ、ウソついた。生まれる前も入るのかな(笑)
お腹にいたときの画像もあった。それと、マタニティフォトもギリギリで撮影したからその写真も入るね。
マタニティフォトにはエピソードがあって、撮影は本当にギリギリだったんです。
予定日がだいぶ近づいていたので、そろそろ撮ろう!となったその日、ママが一生懸命メイクして髪を伸ばして綺麗にセットして、そしてドレスも着ていよいよ準備完了!!っていうときに破水しちゃったんだよね。ママが「あ!」みたいな(笑)
だから予定を変更して急遽病院へ直行。その翌日に息子が生まれるとなり、病院でママが落ち着いたとき、病室でマタニティフォトを撮影したんです。本当にギリッギリの撮影でした。
本題に戻そう。
そんなマタニティフォトを撮影した翌日、静かに出てきたかと思えば、いやいやとても大きな産声をあげて僕たちの前に現れました。動画撮影やカメラ機材を持ち込んでの撮影が禁止でしたので、生まれた瞬間にスマホで時計を撮影。365日の写真集アルバムはそんなドラマティックなエピソードから365日がはじまります。
僕は50歳で、同級生の中で多分一番子供を授かったのが遅いんじゃないかな?同級生はだいたい20代前半で子供を授かっていましたから。そんな同級生を基準に考えると、僕は彼らの倍、好きなことを自由にやり続ける時間を続けました。(今も続けているけど)
安易に好きなことを自由にやれた!って言っていますが、誤解しないで下さいね。
何故なら好きなことをやる自由を選べば、自由でいるためのリスクもすべて背負うからです。
複利厚生なんてないし不動産で家を借りるのも大変でしたし、バンドでも写真でも事業として成立しなかったり上手くいかなければ、すべて自分に跳ね返ってくるのですから。そう誰も守ってくれないし誰も助けてくれないのですから。

何故か僕はそんな波乱万丈な人生を好き好んで選んで来ました。。。
なのでそれなりにわがままにやってきた僕ですから、息子に残せるもの!伝えたいこと!という思いも強くあって、それを「写真」で表現し残してあげたいんです。まぁ思いっきりエゴなんですけどね~。
写真にこだわりもあって、ただの写真じゃダメ。
失礼な表現だけど、流行の中にいつもある広告のような薄っぺらい写真はダメ。確かに綺麗な写真だけど、それは僕のような者が撮る写真ではない。人のことは知らないけど、カフェで心地よく流れるBGMで終わる音楽は僕の心に突き刺さらない。本当にいい音楽は、たとえ雑音だらけの中でもポンとひとつ音が抜けて聴こえたらコレなんだろう?ってアンテナが反応しちゃうから。ソレと一緒。僕が残す写真集、アルバムは、そういうアルバムじゃなきゃだけダメなんだ。僕に出来る最大のスキルを使って、僕の人生経験を最大限に活用して自己満たっぷりなんだけど、自己満で終わらないそんな作品にします。
最後に
完成してもアルバムは永遠に非売品。
そして僕の夢。数十年後息子に言わせたい!
「どうしょうもねークソ親父だけど、写真だけはマジでヤバイわ!」
それな!

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